熊野本願文書Kumano Hongan bunsho
熊野三山には、中世以来、社堂の造営・修理を行うため、浄財を募る、本願とよばれる歓進元の寺院がありました。本宮庵主・新宮庵主の各1ケ寺と那智山に7ケ寺の9ケ寺です。また新宮庵主の配下で神倉山を所管した妙心寺などの本願寺院も知られています。
しかし、熊野本願寺院も近世後期以降は無体化・退転が進み、明治初年の神仏分離で、ほとんど廃寺となってしまいました。
熊野三山協議会では、伝来する新宮本願庵主(梅本家)と神倉本願妙心寺(引地家)の古文書・古記録及び那智七本願の記録(青岸渡寺文書)の解説と研究、翻刻事業を熊野本願文書研究会(鈴木昭英会長)に数年前から委託し完成いたしました。
熊野本願文書の公刊によって、明治以降、神社になってしまっている熊野三山の神仏習合時の運営組織や活動が、かなり解明になるものと思われます。