現在表示しているページ
ホーム > 熊野那智大社 > 宝物

熊野那智大社

宝物

宝物殿

当殿は、熊野那智大社御創建一千六百五十年祭奉賛会記念事業として、昭和四十年七月に開館されました。 
熊野信仰に基づく熊野文化が発生するのは奈良時代からで、この時代のものから、隆盛時代の平安期を経て近代に至るまでの、各時代の逸品が数多く伝えられ収蔵されて居ります。
とりわけ、日本三大経塚の一つといわれている那智経塚から出土の「御正体」「御懸仏」「本地仏」「鏡」「経筒」など埋納品の数々。又、「那智大社文書」「那智山参詣宮曼荼羅」「熊野権現曼荼羅」等の古文書絵画類・旧御神像・仏像・古鏡等の工芸類、熊野御幸・蟻の熊野詣など名残りとして法皇・女院方の伝承品も多く保存されています。 
それから、豊臣秀頼や江戸時代の各将軍、各大名が寄進の品々など熊野信仰の真髄にふれる宝物類・古文書類の貴重な多くの資料が保管され、その一部が当殿陳列室に公開されております。

宝物殿

古銅

古銅 古銅

社伝によると孝徳天皇大化元年(645)に牟婁の郡が置かれたとき、郡司より賜った印章と伝えている。
鋳銅製の印章で朱文で二行、一行に「牟婁」、「郡印」と篆書で鋳表してある。
奈良時代 ・国指定重文

熊野那智山宮曼荼羅

熊野那智山宮曼荼羅
美濃紙に泥絵具で描かれたもので、熊野信仰を全国に布教する際、熊野山伏・比丘尼が絵説きに用いた唱導画であり、
那智山の信仰と端的に表現しているとして有名である。
室町時代・作者不詳・県指定文化財

金銀装宝剣拵

金銀装宝剣拵寛永13年(1636)徳川頼宣公の寄進による宝剣。
その保護と装飾のため拵が作られる。
刀身は無銘・神社では那智御瀧秘宝となし、一名「フツノミタマノ剣」と呼び修験修法の利剣として尊崇している。

作者年代不明・国指定重文

熊野烏牛王神符

熊野烏牛王神符
寛永6年2月26日
縦50cm、横52cm
榊原越中守
この神符は烏72羽を以って神文を書き俗に「おからすさん」又「千羽烏」とも称し古来より悪魔退散の御神符として熊野詣での人々がその参詣の印として受け家の神棚などにお祀りされました。
また、起証文に用いられていることなどで有名であり、結びの熊野権現の御神徳と信仰を今に伝えています。
現在でも年末から年明けにかけて牛王神符に関する数多くの祭典が御奉仕されており、社頭授与所においても牛王神符を領布しております。

このページの上へ