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熊野速玉大社

宝物

 当大社には、室町時代に皇室と足利義満公の奉納と伝えられる古神宝類(内容品共千二百四点)がある。保存状態が良好で、内容品の種類が多く、しかも類品皆無という珍らしいものなどがあり、当代最高の古文化財として、いずれも国宝に指定せられている。
 蒔絵手箱十一合、玉佩二リュウ、挿頭華三十枚、金銅鳥頸太刀二口、彩絵檜扇十握、装束などは特に有名である。また、珍らしい国宝の笏もある。

彩絵檜扇(さいえひおうぎ)

彩絵檜扇(さいえひおうぎ)

この彩絵檜扇は緑の松、朱赤の楓を画き、金銀箔をちらし、下方にはススキを配している。 
檜扇とは檜の薄皮をつヾって作った扇で、主として宮中においての儀式に際し、公家の男女が正装して所持したもの。位によって枚数がことなる。熱田神宮に一握、厳島神社に五握、当大社のもと摂社阿須賀神社に一握(現在は国有)を存するのみで、これは長さ一尺三寸二分、巾上一寸二分、本九分の檜板二十七枚を萌黄紅糸で綴合せ、紙ヨリを石畳結びとして蟹目にとおした親王用品である。世に熊野檜扇として有名な十握の中の一つである。

桐唐草蒔絵手箱(きりからくさまきえてばこ)

桐唐草蒔絵手箱(きりからくさまきえてばこ)

蒔絵手箱は平安時代に完成された化粧具をおさめる器物であるが中世以前のものはきわめて遺品がすくない。
当大社には、保存状態が良く内容品のととのった蒔絵手箱が、十一合も所蔵されている。しかも皇室、仙洞御所、足利義満公の御奉納にかかる桐蒔絵手箱二合とこの桐唐草蒔絵手箱は、沃懸地蒔絵銀螺という最高の豪華な技法でつくられている。 
この桐蒔絵手箱は沃懸地、つまり金粉を密に蒔詰めた厚い金地に高肉蒔絵に銀螺鈿で桐と唐草を蓋表および四側の面に画き、紐金具は金の桐金具となっている。 
また、白蝋の置口をつけた二重の懸子の中に、次のような品々をおさめている。
梨地箱入り白銅鏡1、銀銅水入2、同歯黒器1、白銅香合2、同白粉笥2、同歯黒箱2、銀銅耳掻1、同鋏1、同毛抜1、同櫛拂1、同髪掻2、同眉作2、同歯黒筆1、同解櫛1、紅皿1、蒔絵梳櫛29、蒔絵櫛箱1、 
なお、この蒔絵手箱は、十二社殿の中の第三殿證誠殿の御神宝である。

金銀装鳥頸太刀(きんぎんそうとりくびのたち)

金銀装鳥頸太刀(きんぎんそうとりくびのたち)

柄頭に鳳凰の首を飾る金銀装の鳥頸太刀二口は、後小松天皇の御奉納にかかる南北朝時代の作である。中世、鷹狩りに使用の公家飾太刀の流をくむ稀有の遺品で、鳥頸、鳳凰、キリンなどの金具等の彫技は抜群で精巧をきわめている。 
中身は信国一門の作で、康応二年三月日の銘があり刀長二尺二寸五分、表裏のはばき上に梵字、蓮台を、その上には細い棒樋を刻している。中身の一口は明治6年に紛失、残り一口は昭和21年1月17日に、米国進駐軍の刀狩りで行方不明である。まことに遺憾の極みである。

金銅装錦包掛守(こんどうそうにしきつつみかけまもり)

金銅装錦包掛守(こんどうそうにしきつつみかけまもり)

災厄をまぬがれるために、お守りをいれて胸に下げる古様なお守袋である。懸守は、護符をいれた錦包の筒形袋の両端に、紐をつけて用い、主に女人が使用していた。 
懸守の遺品はきわめて珍らしくて、わずかに四天王寺(大阪)に平安時代のものが7個あって円形、楕円形、花形の筒状で、錦に金銅の飾金具をつけている。
当大社所藏品は、四天王寺よりも時代の下降がみとめられるが、稀有の遺品である。側面が楕円形の扁平な形に木心をつくり、紺地小文錦で貼りつつみ、これに金銅透し彫りで梅樹、籬の飾金具をつけ、両肩には紐を通すように花形の座金がある。
(縦7.3cm、横7.3cm、厚4.8cm)

玉佩(ぎょくはい)

玉佩 (ぎょくはい)

当大社御主神の速玉大神(いざなぎのみこと)の御神宝で、南北朝の精巧な彫金技法による遺例稀な貴重な宝物である。玉佩は「西宮記」によると、臣下で三位以上は右腰、天子は腰の左右に飾るとある。

挿頭華(かざし)

挿頭華(かざし)

宮中では奈良時代から冠に実花を挿したが、後に造花を用いた。これは南北朝時代のもので、色々の絹糸をはり合せて作った稀有の遺品で、熊野速玉大社には椰など14種、30枝が伝えられている。
(右からツツジ・椰・松各二枝)

組紐(くみひも)

組紐(くみひも)

麻紐を芯として白・黄・萠黄・緑の絹糸で両面に亀甲文・山道形に打出している。公卿が装束着用の際に、腰紐に使用したが、室町時代になると、将軍クラスが刀の下緒にしたと言う。 この組紐の製作には時間がかかり、公卿が色々苦労して一年近くかかって、やっと一本を編んだと言う。古い組紐の遺品はきわめて数が少なく、神宮に残欠が伝えられている由である。これは南北朝の作で、六条が伝えられている。
(長175.7~200cm)

錦包挿鞋(にしきつつみそうがい)

錦包挿鞋(にしきつつみそうがい)

熊野速玉大社には同型同大で作技も同一の挿鞋が二組ある。木をくりぬいて沓形にして、表には赤地輪宝唐草文錦を張り、内側と底には唐草文の白綾をはっている。地は経の三枚綾、絵緯は白、黄、緑の織りにつくっている。 挿鞋は綾でつつみ、錦でつつんだものは錦鞋と呼ばれており、当大社のものは之に該当する。鞋の古様は甲が皮履のようなやわらかな浅沓である点から考えると、当大社の品は木をくりぬいた形だから、鞋ではなく履の仲間と言えよう。甲の部分がやわらかい布帛製では形がくずれやすいので、木製に代っていったのであろう。(長さ23.2cm、巾9.5cm、甲高10cm)なお、この挿鞋の容器である唐花蒔絵挿鞋箱二合(高さ14.9cm、縦23.9cm、横26.2cm)があり、共に国宝に指定されている。黒漆に唐花唐草の円文と唐花唐草を銀蒔絵とし、内側には蓮華、蝶、唐草模様の赤地錦を貼っている。

木笏・梛蒔絵笏箱(もくしゃく・なぎまきえしゃくばこ)

木笏・梛蒔絵笏箱(もくしゃく・なぎまきえしゃくばこ)

この木笏は鎌倉時代後期の作で、材質は一位の木であり、角丸形で上巾六.七cm・たて四十三cm・厚さ一.九cmである。 
笏箱は長方形で上部は花形座、下部は直線となった合口造り、白蝋の置口をつけ黒漆ぬりで熊野権現の象徴である梛枝を金銀の蒔絵であらわしている。

 

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